名古屋地方裁判所 昭和24年(タ)28号 判決
原告 斎藤ゑづ
被告 永尾ふさ子
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告を本籍岐阜縣多治見市池田町屋二百三十六番地亡斉藤米次郎の子であるとの認知は無効とする。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として次のように述べた。
原告は亡斉藤米次郎の妻であり、米次郎は昭和二十二年一月二十五日死亡した。被告は右米次郎の死亡後檢事を相手方として津地方裁判所に子の認知の訴を提起し、同廳昭和二十四年(タ)第三号事件として審理せられ、同年八月二日被告を亡米次郎の子であることを認知するとの判決言渡があり、該判決は確定した。しかしながら、被告は右米次郎の眞実の子でなく右認知は事実に反するから、原告は利害関係人として右認知の無効宣言の判決を求めるため本訴に及んだのである。
右事実関係の概要を次に述べると、亡米次郎は被告の母永尾とみと大正九年頃から内縁関係を結び情交を通じていたが、大正十一年九月十七日とみに対し手切金千五百円を與えて内縁関係を断絶し、その後両人の間に絶対に肉体的交渉がなされなかつた。
被告は大正十四年一月二十五日右とみとその夫である訴外永尾莊之助との間に生れた嫡出子であつて、被告は亡米次郎との間には絶対に親子関係が存する筈はないのである。即ち前記認知の判決は全く事実に反した虚偽のものである。
元來、子の認知なる行爲は或る子の事実上の父又は母がこの関係を承認して法律上の親子関係を設定しようとする意思表示であつて、従つて認知により親子関係の発生するためには、事実上の父又は母においてこれを爲すことを要し、然らざる者がこれをなしても絶対にその効力を生じ得ないのである。
このことは、認知の意思表示が父又は母により任意になされようと裁判上強制的になされようと同断であつて、若し当事者間に事実上の親子関係が存しない場合には、子その他の利害関係人は右認知が眞実に反することを指摘してその無効を主張し得るのであり、民法第七百八十六條はまさにこの点を規定したものである。しかして右のように子その他の利害関係人が認知に対して反対の事実を主張するためには、必ず訴をもつてこれを主張しその無効宣言を求めることを要し、これが宣言あつて初めて認知は当初に遡つてその効力を失うのである。被告は民法第七百八十六條は任意認知の場合の規定であつて裁判上の認知には適用せられないと主張するが、右の如き見解は民法改正前(昭和十七年法律第七号による改正前)のように生存中の父又は母のみを被告となした時代には妥当であつたろうが、現在のように父又は母の死亡後、事実もよく知らず且つ利害関係も有しない(ただ抽象的に公益の代表者というに過ぎない)檢事を相手方として認知の訴を提起し得る法制のもとでは不当も甚しい見解である。又認知の訴なるものの本質は、子が父又は母に対しその子たることの認知の意思表示を求むる訴即ち給付の訴であつて、被告主張の如く親子関係の存在の確定を求める確認の訴ではない。すなわち認知の訴の本質はかの登記手続を求むる訴などと同じく、相手方に対し一定の意思表示を求める訴なのである。且つ、確定判決はその主文に包含せらるる事項に限り既判力を生ずるのであるが、子の認知の判決においてその主文に包含せらるるものは、法律の擬制により認知の意思表示がなされたという事実だけであり、それ以上に親子関係の存在の確定をまで含むものではない。
認知判決の効力が第三者に対しても及ぶことは人事訴訟手続法の規定上もちろんのことであるが、この場合でもその効力の範囲は主文に包含せられた「認知の意思表示があつた」という事実以外には一歩も出で得ないのである。任意認知と裁判上の認知との唯一の差異は、その認知の意思表示が当事者により現実になされたか、又は判決をもつて擬制的になされたか、の一点に存するのであつて、その外になんら本質的の差異がある訳でない。從つて若し事実上の親子関係の存しない者の間に認知がなされた場合、子その他の利害関係人においてその無効を主張し得ること両者の間にいささかも区別あるを見ない。裁判上の認知においてその効力が第三者にも及ぶことに拘泥し、その眞実に反する場合にも絶対に無効を主張し得ずとなす議論は、認知判決の本質を誤解し、且つ任意認知との間の均衡を忘れた謬見に外ならない。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、その答弁として次のように述べた。
原告が亡斉藤米次郎の妻であること、米次郎が昭和二十二年一月二十五日死亡したこと、被告より檢事を相手方として子の認知の訴を提起し、昭和二十四年八月二日原告主張のような判決の言渡があつて確定したことはこれを認めるが、その他の原告主張事実はこれを否認する。
原告の本訴請求は、確定判決の既判力を無視し、判決によつて確定せられた認知の効力を爭うものであつて失当である。
そもそも子の認知事件の確定判決は、第三者に対してもその効力を及ぼすことは人事訴訟手続法第十八條、第三十二條に明定するところであつて、利害関係人たる原告においても右判決の効力を受けることを免かれ得ないこと勿論である。從つて、右確定判決の作用たる既判力を否定し、その内容に反する事実を主張してこれを左右せんとする如きは明かに不当である。
原告は認知の意思表示が当事者により任意になされたると、裁判上擬制的に爲されたるとを問わず、子その他の利害関係人において反対の事実を指摘してその無効を主張し得るとし、民法第七百八十六條を引用するけれども右法條はすべての学説が解するがごとく任意認知の場合の規定であつて、裁判上の認知に適用を見ないものである。けだし、第一に子が自ら提起した訴訟の効果たる認知に対し無効を主張するというのは、それ自体矛盾した観念であり、次に利害関係人からこれに対し無効を主張し得るというのも前記人事訴訟手続法の規定に正面から衡突するのみならず、子が一旦認知の確定判決を得ても利害関係人から次々に無効訴訟を提起せられることにより、永久にその地位の安定を見ないという不合理を生ずるものであつて、とうてい是認し得ない議論である。原告は認知の訴をもつて、子が父又は母に対して認知という意思表示を求める給付の訴なりと解するようであるが、我民法は昭和十七年法律第七号による改正後、檢事を相手方として認知の訴を提起する場合を認めたのであり、このことは民法が親子関係について從前の主観主義(意思主義)を廃して客観主義(事実主義)を採つたことを示すものにして、右の事実から考えても原告の見解は誤りであることが分る。即ち子の認知の訴は從來の給付訴訟説から確認訴訟説に改められたのであり、原告の主張するところは改正前の法文にとらわれ現在の通説をわきまえぬ時勢おくれの説である。要するに原告の本訴請求は確定判決の既判力を無視し民事訴訟法の原則を否定するものでとうてい許容せられぬところであり、若し原告にして、あくまで被告が米次郎の子でないことを主張するならば、すべからく再審の訴を提起し、認知判決の既判力を滅却してその目的を達すべきである。<立証省略>
三、理 由
被告永尾ふさ子が津地方檢察廳檢事正木下由兵衛を相手方として同被告が岐阜縣多治見市池田町屋二百三十六番地亡斉藤米次郎の子であることの認知訴訟を津地方裁判所に提起し、同裁判所が昭和二十四年八月二日右と同旨の判決を言渡し、該判決が同月二十日確定したことは、公文書であつて眞正に成立したと認め得る乙第一号証の一、二(判決正本及び同確定証明書)の記載によつて明かである。
ところで原告(同人が前記米次郎の妻であり、本件認知の効力について利害関係を有するものであることは甲第八号証戸籍謄本の記載によつて認め得る)は本訴において右認知判決の効力に関し該判決の内容が眞実に反すること、即ち被告は前記米次郎の子でないことを主張して、右判決による認知の無効宣言を求めているのである。よつて先ず叙上のように既に判決によつて確定された認知に対し、後日利害関係人から認知の無効宣言を求め得るや否やについて考察しよう。
なるほど、民法第七百八十六條によれば「子その他の利害関係人は認知に対して反対の事実を主張すること」が認められており、右はいわゆる任意認知の場合に適用あることは、その條文の意義及びその排列の位置からいつて当然のことであろうが右規定が進んで、いわゆる強制認知の場合にも適用ありや否やの点は甚だ疑問である。原告の見解に從えば、父母が裁判外において自発的になすいわゆる任意認知も、はたまた父母が任意認知をなさぬため判決によつて強制的に認知せしめられるいわゆる強制認知も、その本質は同一であつてたゞ前者は認知の意思表示が現実になされ後者は法律の擬制によつて認知の意思表示があつたものと見なされるに止まるだけである。即ち任意認知も強制認知も、それが父又は母により認知の意思表示がなされたものとして取扱われる点においては同様であり、その意思表示が裁判外において現実になされようと、裁判上法律の擬制をもつて爲されようと、そこになんら本質的な区別がある訳でない。從つて裁判上の認知においてもその法律上の効果は任意認知の場合と同じく、認知の意思表示があつたということ以外には出でないのであつて、それ以上例えば当事者間に親子関係の存在が確定せられるが如き効果は生じ得ないというのである。しかしはたして原告の見解のごとくであろうか。昭和十七年法律第七号による民法の一部改正以前においては私生子認知の訴は一般に給付の訴として理解せられ、私生子は生存中の父又は母に対してのみ裁判上の手続をもつて認知の意思表示を求め得るものとされていた。しかし前記民法改正後においては、死亡後の父又は母に対しても認知の訴を提起することが認められ、子は父又は母の死亡の日から三年間(昭和二十四年法律第二百六号による特例の場合においては、死亡の事実を知つた日から三年間)認知の訴を提起することが許されるようになつたのである。從つて、右認知の訴の性質も從前のように給付の訴として理解することは意思表示の理論上著しく困難となり(法文も以前は認知を求むることを得とあつたのを認知の訴を提起し得ると改めたし、又右改正前においても判例は意思能力なき禁治産者に対しても認知の訴が提起できることを認め、給付訴訟説は必ずしも総べての場合に妥当と考えられなかつた)、そこで右訴をもつて確認の訴又は形成の訴と解する説を生ずるに至つた。然しながら認知の訴を目して確認の訴となすことは、認知制度のたてまえとして、父母の認知により初めて法律上の親子関係を生ずるという事実から見て容易に首肯し難い見解であり、結局認知の訴は形成訴訟に属し、認知判決の確定すると共に当然に認知の効力を生じ当事者間に(檢察官を被告とする場合は死亡者との間に)法律上の親子関係を形成するものと解するのを相当とする。
以上のように考えて來ると、認知判決の効力をもつて、單に認知の意思表示がなされたものと見なされるに止まり、夫以上に何等の法律上の効力を生じ得ないとなす原告の主張は失当であつて、裁判上の認知は任意認知と根本的にその性格を異にし、当事者間に親子関係の実体を形成し、これを確定するものと解さねばならない。
しかして右のごとき認知判決の効力は、單に訴訟当事者の間のみならず利害関係人その他一般第三者にも及ぶものなることは、人事訴訟手続法第三十二條第一項、第十八條第一項に明規するところであつて、右判決が一旦確定した以上、その主文に包含せられる事項については、何人に対してもその効力を及ぼすことは明白である。從つて爾後裁判所が右判決の内容に反する認定をなし得ないのは勿論、当事者及び第三者も亦右判決の内容にてい触する主張をなし得ざるに至るのであつて、若し当事者その他の者が右判決の既判力を受けることを免かれんとするためには、再審の訴を提起し再審判決の確定をまつて右認知判決の効力を消滅せしめる外ないのである。
なお前述のように、任意認知と強制認知との間にその効力上の差異の存することは、例えば家事審判法第二十一條が一般に調停調書の記載が確定判決と同一の効力を有することを規定するに拘らず、認知事件の調停について、その適用を除外している法意に徴しても窺い得るのである。即ち認知事件においては、たとえ当事者間に合意が成立し親子関係の存在が承認されたとしても、右合意の内容が眞実に一致せず、客観的に親子関係の存在しない場合があり、この場合利害関係人から反対の事実を主張しその効力を爭う余地が存し得るから、法律はこれに対して確定判決と同様の効力を附與することを認めなかつたのであり、このことは反面より言えば、一旦確定判決により認められた認知の効力に対してはもはや何人からも反対の事実を主張してこれを否認し得ないことを意味するのであつて、この点同じく人事訴訟事件にあつても、離婚又は離縁事件等と著しくその趣きを異にするところである。かように観て來ると原告が本訴において既に確定判決により認められた認知の効力に対し、その利害関係人として反対の事実を主張してこれを爭うことは、第三者に対してもその効力を及ぼす認知判決の性質上、とうてい許容できぬこととなり(檢察官を被告として認知訴訟の提起せられる場合、事案の眞相を究明するに足る充分な資料が蒐集せられるか否か、多少危ぐの念の存する場合あること原告主張のとおりであり、この点裁判官としては愼重に審理に当らねばならぬこと勿論であるが)、原告の本訴請求はついに棄却するの外ないのである。
よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條を適用し、主文のように判決した次第である。
(裁判官 山口正夫)